道祖神祭り と とんど焼き

小正月に正月飾りやしめ飾りなどを焼く「とんど焼き」の行事は日本各地で行われています。その由来は平安時代にまでさかのぼることができ、宮中の宮廷行事として執り行われていたことが記録に残っているほどです。道祖神(どうそしん)は災厄の侵入を妨げる神様として信仰を集めており、石造などに刻み込まれて辻などに祭られているのを目の当たりにすることが出来ます。シンボリックな形状から子宝祈願や子供の成長などの象徴として、日本全国で祭られている民間信仰の一つにもまっているのです。この道祖神の小正月に火祭りとして、とんど焼きなどが随所で執り行われているわけです。
その内容は地方によって違いがありますが、長野県北信地方では、厄年の祓いや良縁祈願などを目的にして、火を巡っての攻防戦をモチーフにした道祖神祭りが現代に至るまで、伝承されているのです。なかでも全国的に知名度が高いのが、野沢温泉の道祖神祭りになります。

”野沢温泉の道祖神祭り”の歴史

国の重要無形民俗文化財にも

その祭りに携わる人間の数や、祭りの規模そのものの大きさなどで日本有数のものとなっています。この祭りがいつ開催されるようになったのか、定かではないものの道祖神碑には天保十巳亥年といった記載があることから、江戸時代後期にはすでに盛んに執り行われていたようです。
かつては野沢温泉の道祖神祭りと言えば、二箇所に分けて行われており「上のどうろく神」「下のどうろく神」と呼ばれていたようです。ところが大正元年に当時の警察当局から、火災予防のために「人家から100間以上の距離をとること」と言う規制が公布されるところになり、上下の組が同一の場所で行う現在のスタイルの元になったわけです。全村を挙げて挙行されることで、円満に和合を進めるための豪華な社殿作りや清楚可憐な木造道祖神作製など、行事内容は二つに分かれていた時代のスタイルを踏襲することになっています。さらに祭りには競技的性格や全村一致などの要素はまずます濃厚になり独自の信仰を形づくるようになり、類例のない民俗的行事として存続しています。長年の歴史や知名度の高さが評価されて、平成5年12月31日には国の重要無形民俗文化財の指定を受けるにいたりました。

祭りに携わることには、大人の男性として仲間入りするという登竜門の意味合いも?!

野沢温泉の道祖神祭りの特徴の一つは全村挙げて執り行う独自の組織を活用して運営されている点にあります。地区を代表する野沢組総代が総元締めに就任し、経験者の中から選ばれた「棟梁」などの役員の指示の元で、三夜講とよばれる厄年の男性がまつりの具体的執行を担うことになります。男性が厄年を迎える40・41・42(いずれも数え年で)の3世代が「三夜講」とよばれる組織を編成し同じメンバーで三年間行事を行うことになるわけです。このメンバーに毎年25歳の男性が毎年加わり、厄年を終えることになる42歳の男性が幹事をを努めることにナリ、3年間経過すると新たな三夜講に引き継ぐことになります。野沢温泉の道祖神祭りの事前準備を含めて1週間もの時間を、仕事を犠牲にしてつぎ込んで祭りに携わることには、野沢の男になったと言うシンボリックな意味合いをもっており、地区全体から大人なの男性として仲間入りするという登竜門の意味合いも持っています。つまり祭りは大人としての仲間作りや人間作りの側面を色濃く持っているため、長年にわたり連綿として引き継がれてきたことの理由を見出すことが出来ます。
ところで野沢温泉の道祖神祭りでは、木製道祖神は男性と女性のペアになっています。容姿が見苦しいために嫁に
嫁ぐことが出来なかった女性の神様が男性の神様と結ばれたところ、めでたく男子が出生したとの言い伝えに由来しています。そのため野沢温泉の道祖神祭りは縁結びと子宝を願う人々の願いに応えるものとなっている訳です。

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